「・・・ま、右手に巨大な山がご覧になれますでしょうか?」

 いきなりのアナウンスに驚き、うたた寝から目覚めた。そう、私は今、観光旅行に来ているのだ。

 私は今年60歳。40年間勤めてきた一流企業を定年退職し、その記念に今回の旅行を計画したのだ。思えば仕事一辺倒でここ数十年旅行らしい旅行はしていない。退職を機に妻と旅行をと言い出したのはこの私だ。妻も仕事一筋だったこの私の口から旅行の話が出たので、さぞびっくりしたことだろう。

 さらに、この旅行には一流企業の退職金のほぼ全額をつぎ込んだ。いままで仕事一筋の私に付いて来てくれた妻と、身を粉にしてひたすら働いてきた私自身へのご褒美だ。一生に一度の思い切った決断だった。


 観光バスのガイドのアナウンスに導かれ、私は右前方に目をやった。徐々に巨大な山が車窓に広がってゆく。

 「あの山が、最大の火山、オリンポス山です。標高2万6千メートル、裾野の直径は約600キロにも及んでいます。当バスは時速300キロで高速走行していますが、山の全景がご覧いただけるまであと2時間程度かかりますので、絶景ポイント到着までもうしばらくお待ちください。」

 何!?標高2万6千メートル?裾野の直径600キロ?なんてでっかい山なんだ!確か世界一高い山はエベレストで、標高は8千メートル弱と記憶にある。ってことは、あの山は一体・・・?

 ガイドの言うことに間違いがなければ、あの山はエベレストの3倍強の高さで、裾野の直径が東京-大阪間の距離があるというのか!確かに見るからにそのくらいはありそうな感じだ。頂上付近はかなりの距離があり、かすんで見えづらい。

 そんな山が一体どこにあったのだろうか。確か私の旅行先は・・・思い出せない・・・。そういえばここ数日間の記憶が無い。寝起きだからなのだろうか。

 退職金の全額をかけた旅行だから、近場でないことは確かだ。まあ、観光地を周っているうちに思い出すだろう。ここで妻に心配かけてもせっかくの旅行が台無しになる。しばらくこのまま旅行を続けよう。


 「みなさま、間もなくマリネリス峡谷に到着します。この峡谷は、長さ4千キロ、幅100キロ、深さが7キロという広大さです。じっくりご鑑賞ください。」

 バスを降り、展望台から峡谷を見下ろした。そこで私は絶句した。まるで飛行機から見下ろしているくらいの高さ。対岸の崖がかすかに見えるくらいの距離。こんなに広大な峡谷は今まで見たことがない。過去アメリカ出張で立ち寄ったグランドキャニオンでさえ、この峡谷に比べるとおもちゃのようだ。

 ふっと我に返り、妻の顔を見ると、涙ぐんでいた。「あなた、こんなすばらしい旅行に連れて来てくれてほんとうにありがとう。地球で一生を終えていたら、こんな感動はなかったわね。」

 地球で一生を終えていたら・・・?ってことは、ここは地球じゃないのかっ!?ここは一体どこなんだー!・・・

 「みなさま、前方には美しい夕焼けがご覧になれますね。その方向やや上方をご覧下さい。明るい一番星が輝いていますね。あれが、私たちの地球です。青白くきれいに輝いてますね。」

 あれが・・・地球・・・?


 さて、みなさんはこの主人公がどこにいるのかお分かりになったかな?地球でないことはたしかなようです。

 この写真を見て、どこの星かすぐに分かった人はかなりの天体通です!(?)そう、地球のすぐ外側を回っている火星なのです。

 火星は地球のほぼ半分の大きさの星です。重力は地球の約3分の1で、大気は地球の150分の1程度しかありません。火星の1日は24時間37分で、自転軸の傾きも地球とほぼ同じです。そのため、火星にも地球と同じく四季の変化があります。地球に比べて太陽から遠いため、真夏の日中でも0℃を少し越える程度にしか気温は上がりません。赤道付近の平均気温はマイナス50℃です。

 火星には、太陽系最大の火山「オリンポス山」があります。写真のいちばん左にある白い部分にそびえ立っています。かなり標高が高いため、雲がかかっています。また、マリネリス峡谷は写真中央やや下の位置にある黒い模様がそうです。

 火星は昔から生命が存在すると言われてきました。地球人より高度な知能を持ったタコのような火星人がいると言われてきましたが、1976年の火星探査機「バイキング」が火星に着陸し探査、そのような高等生物はいないことが分かりました。

 しかし、96年に見つかった火星から飛んできたと思われる隕石の中に、生命の痕跡らしきものが見つかったと発表されました。過去、火星は地球のように広大な海があり、生命が宿っていたと考えられています。


 現在、一般の人が出来る宇宙旅行は、数分間重力圏外に出て無重力を体験出来る一人数千万円のツアーが実現されています。今後、月面基地の建設や火星への有人探査などが予定されており、火星への観光旅行が実現するのもそう遠い話ではなさそうです。ぜひ私の生きているうちに実現させて欲しいものです。